マウントをとってはいけない

人生うまくいくためには、マウントをとってはいけない。

マウントをとっていると、そのうち自分の周りの人たちは離れていき、残るのはマウントを取り合う最低な者しか残らなくなります。

最悪の事態をさけるために、一度自分がそうなっていないかを見直す必要があります。

「マウントをとる」とは

「マウントをとる」とは、他人よりも自分の方がすごいということをアピールすることです。

マウンティングをとるともいい、相手を下げて自分を上げる行為です。

たとえば、相手の話を聞いていて、それよりも自分の方がもっとすごいと話をしはじめ、自分の優位性を強調します。

それが本当の話ならまだマシかもしれませんが、話を誇張する人、話の内容を盛ったりする人もおり、最悪嘘を交えた作り話までする人までいます。

いかに自分の方がすごいのかを見せつけ、他人の興味を自分に向けるのです。

承認欲求(他人から認められたい、価値ある自分を認めてほしい)という言葉が、このSNS時代で認知されはじめ、他人の目を引くためにオーバーな話や、中には過激な行動(迷惑行為)などをして、最悪犯罪にまで発展してしまうこともあります。

承認欲求が強くなりすぎて、何気ない会話でもいかに自分がすごいかを語り出す人もいます。

自己アピールが大好き

マウントをとる人は自分がいかにすごい存在かをアピールする傾向にあり、常に会話の中に自慢話を交えてきます。

私の周りにいたマウントをとる人は、ブランド品、喧嘩、酒豪、ギャンブルごとでの自慢話をする人がいました。

話半分、冗談半分に聞く分には良いのですが、それが毎度のことになると、聞かされる方は段々と嫌気がさしてくるものです。

私は高校卒業してから就職しており、世間知らずのまま勤めており、そういったマウントをとる人から気に入られ、話をよく聞かされていました。

初めのうちは面白おかしく話をしているのだろうと思って聞いていたのですが、時が流れるにつれ、話が過激になっていったり、その人の言動が一致しないなど矛盾や違和感を感じるようになりました。

自慢話が大好き

マウントをとってくる人はとにかく自慢話が大好き。

過去に私の上司だった人達がそうであり、自慢話でマウントを取り合っていました。

過去の会社の自慢

日本で有名な大手企業に勤めていた人で、私が入社した会社に転職してきた上司の話です。

大手企業で勤めていた上司は、先輩・後輩から大変慕われており、上司から一目置かれ、会社の業績を伸ばし大活躍をしていたという話をいつも自慢げに語っていました。

ある日、サラリーマン金太郎という漫画が話題になり、昔の自分を見ているようだと懐かしげに話くをしていました。

その上司と一緒に仕事をしていたのですが、数年経過すると「あれ?おかしいぞ」と思うようなってきました。

言動が一致しないのです。

会社の会議で企画の話や経営方針の話し合いをするのですが、そのときには何も発言しないのに、会議終了した後に私と二人だけになったとたん、ブツブツと文句を言いだすのです。

「俺だったらもっと良い案があるし、それを実行すれば会社の業績を伸ばすことができる!」と私に言ってくるのですが、それならば陰で言わずに会議でみんなの前で話をし、納得させれば良いのにと私は思いました。

前の会社で活躍をしたとか、前の会社の後輩から今でも電話で悩み相談を受けていると自慢話をいつもしており、元上司や後輩からは「⚪︎⚪︎さんが在籍していた時は良かった、また会社に戻ってきてほしい」と言われるという話を聞かされていました。

「そんなに頼りにされているのなら前の会社に戻ればいいのに」と私はいつも思っていました。

会社の同僚と話をしている時に上司の話題が出ました。

同僚は「上司は過去のことでしか自慢できない哀れな人」と言っており、なるほどその通りだと思ったことを思い出します。

過去の実績自慢

別の上司の話になりますが、その人も自慢話が大好きでした。

その上司の話では、自身が企画したコンサートイベントがあり、チケットを数百枚販売しなければならず、自分の営業力でそのチケットを完売させたという話でした。

後日、そのことを別の上司に話したのですが、話は違っていました。

コンサートチケットはほとんど売れず、最終的に社長に泣きついて、社長が動いて何とか完売させたという何とも情けないお話だったのです。

なぜ嘘をついてまで自慢話を上司がしたのかが、私には理解できませんでした。

それ以降、その上司の話を信用することができなくなりました。

喧嘩自慢

男性ではこの喧嘩自慢が多い気がします。

昔はヤンチャをしてて、喧嘩に負けたことがないと言う人もいます。

ひどい人は、街で喧嘩を売られたから相手をボコボコにしてやったと自慢げに話をする人もいました。

社会人になって暴力を振るうのは何の自慢にもなりませんし、傷害罪で逮捕されます。

逆に恥ずかしい行為であるのにも関わらず、「喧嘩に強い自分すげー!」と話をしてくるのです。

私の後輩も喧嘩自慢をしてくる子がいたのですが、「それは社会人としては恥ずかしい話だから、もうやめた方がいいよ」と伝えました。その後輩は大変できた子で、それ以降喧嘩の自慢話をしなくなり、私はホッと安心した記憶があります。

酒豪自慢

大量の酒を呑んだ、アルコール度数が高い酒を呑んだ、朝方まで呑んだ。

いかに自分が酒豪であることをアピールし、マウント合戦をする人が私の周りにいました。

酒豪であることを自慢する人の多くが、翌日仕事であるにも関わらず呑みに出ると言う人が多かったです。

酒豪であるという自慢をするのはいいのですが、それで仕事中に居眠りをしたり、仕事のパフォーマンスを落とすようであれば最悪です。

次の日が休みの時に呑みに出てくれといつも思ったものです。

*さすがに近年では飲酒運転の罰則が強化され、会社のコンプライアンスが厳しくなったため、酒豪自慢する人はいなくなりました。

マウントを取る者同士があつまると最悪

マウントをとる人が一人であればまだいいのですが、2〜3人そういう人が集まると、マウント合戦がはじまります。

私もその中に入ってしまい、大変だった思い出があります。

マウント合戦の輪に入ると、我こそが天下人と言わんばかりの話が盛り上がり、内容がぐちゃぐちゃで、中にはそれって作り話じゃないのか?と思うような話まで出てきます。

そしてマウント合戦が終わり、解散後に陰で相手の悪口を言い出すのです。

聞きたくもない自慢話を聞かされた挙句、陰口まで聞かされるこちらの身にもなってほしいものだと良く思ったものです。

自分が一番出ないと気が済まない

マウントをとる人は、何が何でも自分が一番でないと気が済まなくなってしまいます。

何気ない日常会話でも、例えば私が少し体調不良で仕事がしんどいと話せば、「自分は高熱があり、視界がぼやけているが平然と働いている」と話してくるのです。(それが本当の話かはわかりません)

会話の中で成功話をすれば、さらにすごい成功話をしますし、ラッキーだった話をすれば、さらに上をいくラッキー話をしてきます。(聞いてもいないのに)

相手の話よりも、常に私、私、私なのです。

人が離れていく

マウントをとる人は最終的にどうなるのでしょう?

私の経験上、マウントをとる人は煙たがれる存在となり、最終的に人が離れていきました。

会話の中に入ってきたとしても、話題を変えられるか、その場を離れていき、マウントをとる人から逃げるように去っていくようになりました。

マウントをとる人が恐れるのは、孤独になること。

なぜならば、孤独であるとマウントをとる相手がいなくなってしまうから。

そんな人生、楽しいでしょうか?

自分がそのような人生を歩んでいないかをよく見つめ直すことが大事です。

本物はマウントをとらない

本物はマウントをとりません。

「能ある鷹は爪を隠す」で、優れた人ほどその才能を隠し、謙虚で、自分自身の話はあまりしません。才能や能力・財産・地位をひたすら隠し、誰にも知られたくないのです。

周囲に知られることによって、面倒なことになったり巻き込まれたりするということを理解してるのでしょう。

謙虚であることで周囲からも好かれ、能力がないフリをして教えを請うことによって、更なる知恵を得ることもします。

マウントをとる人生よりも、こちらの方が遥かに良い人生ではないでしょうか?

自分の人生、選択肢は自分自身にあります。

どちらを選ぶか?

自分次第です。

 

最後に

「敵を作りたければ、友に勝つがいい。味方をつくりたければ、友に勝たせるがいい」

哲学者「ラ・ロシュフーコー」の言葉です。

あなたはどうしますか?

私はもちろん味方を作る方の人生を選択します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

また、お会いしましょう!

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