嫌な出来事は自分を動かす原動力に変わる

いつも嫌なことがあると、イライラやモヤモヤがあって「何でこんな目に合うのだ?」と一日中考えることがります。

毎日平穏に暮らしたいのにと思っていたのですが、最近になってちょっと考え方が変わってきました。

 

昨年度末に20数年間勤めた会社を辞めた理由は、上司のパワハラでした。

心の病も抱え、精神的に不安定になったりもしました。

しかし、そのことがキッカケで、仕事を辞めて新たな人生を歩むべく転職することができました。

何が言いたいのかというと、私はそのくらいの衝撃がないと動けない人間なので、きっと嫌な人間が現れて心を動かす力になってくれたのだということです。

嫌な出来事が現状を変えようと思う原動力になったのです。



嫌な出来事は何らかの意味がある

これまでの人生で、嫌なことがあった時のことを振り返ってみると、怒りによって行動を起こしていた自分がいることに気がつきました。

何もない平凡な日常を送っている時は、1日をダラダラと過ごし、結構堕落した生活を送っていました。

何も行動を起こさず、ぼーっと動画を見たりゲームをしたりしてました。

そんな毎日を過ごしていくと、人生が退屈に感じてくることもあります。

そんな時に嫌な出来事が出てくると、なんだこれは!?と衝撃が走りますし、そのことに争う気持ちが湧いてきて、何らかのアクションを起こすようになりました。

そう考えれば、嫌な出来事は人生に良い刺激にもなりますし、行動を起こせるきっかけになると感じるようになります。

馬鹿にされて修正したこと

学生のころ、親戚のおばさんから箸の持ち方を馬鹿にされたことがありました。

「あらあら、箸の正しい持ち方もできないのね」とゲラゲラ笑われたのです。

当時は若かったこともあり、ものすごくイラッときて「だったら正しい持ち方をしてやるよ!!」と怒りに任せ、慣れない手つきながらも正しい箸の持ち方を練習しました。

親や祖母は「無理しなくても良いじゃない」と言ってきますが、それよりも怒りが勝って続けました。

そして、今では箸を正しい持ち方で使えるようになりました。

今ではその出来事に感謝することができます。

あの時馬鹿にされなかったら、大人になってもずっと正しい箸の持ち方ができなかったと思います。



視点を変えられる

嫌な出来事は怒りだけではなく、悲しみや不安なども湧いてきます。

まるで悲劇のヒロインの如く落ち込んでいくこともあります。

しかし、そこから起き上がろう、這いあがろうという気持ちに切り替えた時に、新しい世界が見えてきます。

私は今勤めている会社から再び転職しようと行動しています。

それは、やはり嫌な出来事(上司や仕事内容、会社の理念・思想)がきっかけになっています。

前職・アルバイト・現職、振り返ってみると同じような職種(サービス業)を選んでいたことにも気がつきました。

サービス業はGW・お盆・年末年始の休みがなく、自分の連休もあまりありません。

なぜ同じようなものを選んでいたのか?と自分でも疑問に感じますが、それもやはり惰性で同じ思考が働いていたことが原因だろうと思います。

このままの状況であれば、転職しても同じことの繰り返しになると考え方を反省し、今度は土日祝祭日(GW・お盆・年末年始)休日の会社に行こうと思っています。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です