悩みやストレスの解消法

人それぞれ大小があるにせよ、悩みを抱えてるものですよね。

悩みやストレス解消に何があるでしょう?

  1. 友人・知人と飲みやカラオケにいって発散させる(もしくは愚痴を聞いてもらう)
  2. 推しのライブに参加して癒される
  3. 恋人・家族と楽しい時間を過ごす
  4. 映画や音楽鑑賞をする
  5. 旅行に行く
  6. 好きな食べ物を食べに行く
  7. 散歩をする
  8. ひたすら眠る・何もしない

色々とあります。

私も若い頃はいろんな悩みがあって、ストレス解消に上記のようなことを繰り返してました。

しかしながら、一時的に悩み・ストレスが解消されたとしても、時間が経てばまたその悩みがムクムクと無限に湧き出てくるのです。

それはなぜか?

そのことについて考えていこうと思います。

問題の根本的な原因が解決されていない?

昔、私はよく友人や仕事関係の仲間と愚痴を言い合ったりしており、その境遇について不満をもらしていました。

その時は心の中で言いたかったことを吐き出すため、心がスッキリしてました。

しかし、愚痴や不満を相談してスッキリしたはずなのに、翌日になるとまた同じような悩みが蘇ってきてました。

それはなぜか?

要因としては悩みや不満の元になってる根本的な問題が解決されていないからだと思うのです。

<例えば>

私は若い頃、職場の係長(上司)に不満がありました。

指示される仕事に一手間もふた手間も掛けさせるのです。

一度、仕事の効率化を提案したのですが、「楽をしようとするな!黙って言われた通りにしろ!」と一喝されあっさりと却下されたのです。(「昭和か!?」と心の中でツッコミを入れていましたww)

私は職場の仲間と係長のいないところで不満や愚痴を言っていました。

仲間も「その通りだ!もっと効率化すれば次の仕事ができるのに、あの係長はそれをさせてくれない!」と同感してくれました。

不満や愚痴を言ってるうちは心がスッキリするのですが、係長を説得したわけではないため、翌日もその無駄な作業を繰り返すこととなり、不満やストレスがまた溜まっていくのです。

問題の根本的な原因は、係長の非効率的な仕事をさせられること。

これが解決されないことには、いくら仲間と愚痴を言い合おうが、ストレス発散する行動を起こしても、不満やストレスがなくなりません。

解決方法はなにかあったのか?

  1. 仲間と結託し、みんなで係長を説得する
  2. 効率のいいやり方を実際にやってみせ、納得させる
  3. もっと上の上司に相談する
  4. 係長を無視して、効率の良いやり方を実行する
  5. 諦めてフィジカルに作業を素早く終わらせる術を身につける

5は論外ですねw

実際に上記のこと実行したのですが、その係長は会社での影響力が大きく、誰も逆らえない状況であったため解決されませんでした。(課長に相談しましたが、課長も弱腰で役に立たず)

今回の場合は、解決に向けた行動を起こしたのに未解決に終わってしまったと言う例です。

その他にも、解決に向けた行動を起こさず、愚痴や不満をダラダラと言い合って、互いに傷を舐め合って終わるということもあると思います。

問題の根本的な原因を取り除かなければ、いつまでも悩みやストレスは解消されないということですね。

私の解決方法

  1. 問題解決に向けて行動し、見事に解決した
  2. 問題解決に向けて行動したが、解決できなかった
  3. 問題解決に向けて行動しない(できない)

1〜3までいづれも経験し、導き出した答えは、「どうでもいい」と思うことでした。

何だか投げやりでいい加減な解決方法のように思えるでしょうが、もうこれしかないと言っても過言ではないかと思います。

「どうでもいい」と思えば心が軽くなる

ほとんどの問題が人間関係が大半であり、問題解決のために他人を変えようとすると思います。

他人を変えようと躍起になったとして、他人を変えることなどできません。

叱りつけたり怒ったり、脅したりすれば一時的に言うことを効かせることはできるかもしれませんが、所詮はその時だけであり、根本的に他人を変えることは不可能なのです。

逆の立場で考えてみるとわかると思います。

他人から「ああしなさい」、「こうしなさい」と口うるさく言われて、あなたはそれに素直に従えるでしょうか?

仕事のことやほんの小さなことであれば受け入れて変化もするかもしれませんが、全てを他人の意見にあわせて変化しなさいと言われれば反抗すると思います。

自分には自分の考え方や生き方があり、他人から強要されれば強く反発するはずです。

子供の頃を思い出せばわかりやすいですが、親から「勉強しなさい」「家の手伝いをしなさい」「部屋の片付けをしなさい」とあれこと言われ、「今やろうと思ったのに、言われてやる気がなくなったわ」と反抗したことが誰しもあるかと思います。

親からすれば子供の将来のためにと言うことをきかせようとしたり、子供は自分のやりたいようにさせてほしいのに口うるさく言われてやる気をなくしたり反発したりと、各々の立場によっても考え方が違うと思います。

このように、他人を変えると言うことは大変難しいことであり、どうしようもできないのです。

この世で唯一変えられるもの。

それは自分自身です

自分が必要であると思えば勉強もするし、家の手伝い・部屋の片付けもしたりと行動を起こすと思います。

他人を変えようとするよりも、自分自身を変えることがこの世で最も簡単で実行できることなのです。

そのことがわかれば、「どうでもいい」と思うことがいかに大事なことかが見えてきます。

「自分は自分、他人は他人」

こういった考え方は日本人であれば冷たく感じてしまうと思います。

しかし、前述したとおり他人を変えることはできないということが理解できれば、自分の人生をより良くするために変化させていく方が幸せになれます。

そのために「どうでもいい」と思うことが重要です。

ある人がルールを守らず、周囲に迷惑を掛けているとして、あなたが正義感からその人を改心させようと躍起になったとしても、その人が変わらない可能性の方が非常に高く、無駄な労力とあなたの貴重な人生の時間を費やしてしまいます。

SNSでも正義感から、不倫をした芸能人や迷惑を掛けてるYouTuberなどを記事にして晒している人たちや拡散しようと一生懸命になってる人たちがいますが、それであなたの人生にプラスになるのか?と疑問に思うことがあります。

もちろん注意喚起としての情報発信はとても大事ですし、そう言った事態を防ぐための対策を考えられたりもできるので、全てを否定するわけではありません。

ただ、どっぷりと沼にハマってしまうことは危険だと思います。

他人の不祥事に関する情報が重要なものなのか?

情報として自分の中で取捨選択し、自分自身への危害がない場合は「どうでもいい」と受け流してしまった方が、自分自身の人生を考える時間が増えるため、その方がはるかに幸せになれる道へと進めると思います。

 

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