人生に無駄なことはない。
若い頃に聞いた言葉ですが、その当時の自分には全く理解できない言葉でした。
人生無駄なことはたくさんあるし、無駄な行為はどこまでいっても無駄じゃんと思っていました。
私は学校や仕事が休みのとき、1日何もせずにダラダラして終えたら「今日は無駄な時間をすごしたな〜」って思っていました。
しかし、ある程度の年齢を取ると無駄だと感じていたことが「経験」として残り、それが別のことに繋がることがあるとわかってきたのです。
その色んなことを今回記事にしてみたいと思います。
ギャンブル
社会人になって、ギャンブルはお金と時間の無駄だと思っていました。
会社の人たちがよくパチンコの話をしており、いくら勝っただとか負けたとかを楽しそうに話していました。私はパチンコは一切やらないと決めており、また興味もなかったため話を聞くだけにしていました。
パチンコで買った金額で飲みに行ったと話していると思えば、その翌週には前回勝った金額以上に負けてしまったなどという話をしていました。
勝ったお金はパーっと使って、今度は負けてお金がなくなるということは、相当なマイナスになっているのでは?と思いました。
まさに無駄金であり、私はパチンコをしてる人たちは自ら破滅に向かっていってる気がしてなりませんでした。
実際にパチンコでギャンブル依存症になり、消費者金融などからお金を借りて借金まみれになってしまう人も私の周りでいました。
そしてそれは私の家族からも出てしまったのです。
私の弟なのですが、大学に行き、そこの仲間とパチンコとタバコを覚えたようで、親のお金にも手を出していました。
本人は悪いことをしているという認識もあり、反省もしているようでしたが、それは一時的なその場しのぎで、数ヶ月後にはまたパチンコにいくことを繰り返し、とんでもない借金を背負っていました。
初めのうちは親も借金を肩代わりしていたのですが、やがてそれもお金が尽きて限界を迎えることになりました。自己破産まではいかず、弁護士に頼んで何とかしてもらうようにしました。
家族会議を行い、消費生活センターに相談を行い、病院に通院しようということになりました。
その結果、弟はギャンブル依存症から何とか立ち直り、普通の生活に戻ることができました。
家族の理解と支えがあり、また職場の人たちなどの励ましもあり、何とか克服した弟は運が良かったと思います。一人孤独に問題を抱え込んでしまっていたのであれば、きっと立ち直れなかったと私は思います。
そんな弟ですが、今度はネットで自分の体験を配信したところ、それが反響を呼び、今ではギャンブル依存症に困った人たちへのアドバイスなども行い、そのフォロワー数も増加しているみたいです。また、職場からも頼られる存在となり、会社の上層部の独裁を糾弾し、正常な経営へと導く役割まで行うようになってます。
私が全く無駄でマイナスであると思っていたパチンコの経験から、弟は立派に立ち直ったばかりか、その経験を生かして他のギャンブル依存症の方達を励ます立場になったので驚きました。
このような経緯をみていると、人生に無駄なことはないという言葉は本当だなと思わずにはいられません。
エンターテイメント
ゲームや映画鑑賞、YouTube動画視聴なども無駄だと感じることがありました。
休日にダラダラとゲームなどして過ごすと、1日無駄に過ごしたと罪悪感が半端なかったです。
一時期ゲームから離れ、映画やアニメをみるのをやめました。(YouTubeだけは中毒性があってやめられませんでしたが)
そして、しばらく月日が流れると妙に虚しい日々が続いていってることに気がつきました。
だんだんと単調で同じことを繰り返す毎日が続くようになっており、日々の楽しみや充実感を感じなくなってきたのです。
それどころか何をしても楽しくなく、張り合いがないというか、夢中になったりするものがなくなっていき、何もかもが長続きしなくなってしまっていたのです。
「何かがおかしい」
そう感じていても、無気力な日々に慣れてしまい、仕事から帰り、食事や入浴後にすぐに床についてしまう毎日を送っていました。
「これで人生楽しいのか?」
そう思い、離れていたゲームをプレイしたり、映画・アニメを観始めました。
すると、段々と楽しい気持ちが心の底から湧き出てきて、日々の楽しさ・興奮すること・感動することが増えてきて、充実した日々が甦ってきました。
ゲームや映画・アニメなどのエンターテイメントは何気ない日常に刺激を与えてくれ、非現実的な世界を感じることによって楽しさを満喫し、自分の心を満足させてくれると改めて感じることができました。
全く無駄に感じていたことは、実は良い刺激となって人生のスパイスとなってくれていたのです。
仕事
仕事に行きたくねぇ!といつも思っていますww
お金をたくさん持っていて、働きに行かなくてもよければ行きたくないといつも思っていました。
上司の機嫌を取らないといけないわ、仕事のミスで怒られるわ、人間関係が面倒臭いわで休日が待ち遠しくて仕方がなく、仕事辞めて家でずっとゲームとか映画を観ていたいわと毎日思っていました。
私は上司のパワハラに耐えられなくなり、休職2ヶ月・ニート期間2ヶ月の計4ヶ月あまり自宅にいたことがあります。
適応障害の影響もあり、主に自宅で過ごしており、しばらくの間ゆっくりしようと思っていました。1週間ほどはそれでも良かったのですが、段々とやることがなくなり、まるで目的を見失ってしまったような消失感を感じるようになりました。
驚くほど時間の経過も早く感じられ、カレンダーを見るたびに「え?もうこんなに日数が経過したの!?」と驚いていました。
このまま仕事をせず、家に居たら、あっという間に人生の終わりまで行ってしまうのでは?と妙な焦りを感じました。
私が失業保険をもらいながら数ヶ月間ゆっくり休養しようと考えなかった理由は、仕事の勘やスキル・心構えの衰えが怖いということもあったのですが、人生の目的や張り合い・社会との交わりを失うという恐怖も感じていたからです。
自宅にいて家族としか会わない日々が続けば、外からの刺激や考え方も学ぶことがなくなりますし、小さく狭い世界観しか持てなくなってしまうことが怖かったのです。
転職して働き出して、やはり仕事行くの面倒だとか早く休みにならないかな〜?って思うのですが、自分が社会の一員であるという証を持っている感じがしますし、職場の人や仕事に関わる人々との交流は、仕事をしていないと体験できないことなので、やはり人生にとっては仕事というのは、大変貴重で大事なことなのだと思います。
健全な仕事をしていれば、決まった時間に勤務したりするため、健康にも良いと思っています。
もちろんお金をもらえるのも生活がかかっているので大事です。
今では「お金をもらいながら健康のためにもなっている」と思いながら働いています。
まとめ
快楽であるギャンブル、道楽のエンターテイメント、辛い仕事。
どれも無駄に思えていましたが、人生にとっては必要不可欠な存在であり、それらの経験から何を学び、どう捉え、それらを今後の人生に活かすのかは、その人次第であると私は思いました。
感じ方はひとそれぞれであり、プラスをマイナスに、マイナスをプラスに変換できるのも、その人の才能なのであろうと思います。
今回は私の実体験や経験・家族の体験から学んだことを記事にしてみました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
またお会いしましょう!